黒柳徹子さんは発達障害を公表! ADHDなの?偉大な母、黒柳朝さんも紹介!

黒柳徹子さんと言えば、「窓ぎわのトットちゃん」「玉ねぎヘア」「徹子の部屋」と思い浮かべる方は多いのではないでしょうか?

黒柳徹子さんは著書のノンフィクション「小さいときから考えてきたこと」の中で自身は発達障害であると公表されています。

そんな個性的な、黒柳徹子さんですが、芸能界入りへの採用試験は6000人中、13人という採用枠に選ばれ、芸能界入りされています。

黒柳徹子さんのADHDと思った行動から、黒柳徹子さんのすごさ、エッセイストの母、黒柳朝さんについてもご紹介していきます。

目次

黒柳徹子さんのプロフィール

・生年月日 1933年8月9日(現在92歳)

・出身地  東京都

・血液型  A型

・配偶者  未婚

・大学   東京音楽大学声楽科 卒業

・趣味   カメラ・俳句・パンダ好きでパンダの研究(家にはパンダのぬいぐるみが316個あるとか)

黒柳徹子さんの家族をご紹介!

父親   黒柳 守綱(もりつな)さん
 職業   ヴァイオリ二スト


母親   黒柳 朝(ちょう)さん 愛称チョッちゃん 
 職業   声楽家・エッセイストとしても活動されていた

すぐ下の弟さんは「肺血症」で亡くなられている

・2番目の弟さんは黒柳 紀明さんでヴァイオリ二スト

・3番目の弟さんは黒柳 貴之さん(詳しい情報はありませんでした)

・妹さんは黒柳眞理さん元バレリーナから美容師へ転身されています

アーティスト一家ですごい!

黒柳徹子さんは発達障害でADHA・LD?

黒柳徹子さんは著書のノンフィクション本「小さいときから考えてきたこと」で自らを発達障害ではないのかということにふれています。

黒柳徹子さんの特殊な行動

小学校一年生の頃から

ふたがついている机が珍しかったのか、授業中に気が済むまで100回ぐらい開け閉めしてしまう。

授業中でも窓の外の通行人に話しかける。

授業中に立ち歩いたりしてしまう。

授業中でも教室からチンドン屋さんを呼んでしまうこともあり、授業にならないことが多くあった。

※ADHDとは不注意、多動性、衝動性の3症状が主な特徴である。

他にも、読み書きが困難な読書障害や、計算が困難な計算障害もあったかも知れないと自ら言われています。

※LDとは知的な遅れはないにもかかわらず、読む・書く・話す・聞く・計算する・推論する能力のどれか一つ、あるいは複数が困難な発達障害の一つである。

徹子さんはLDの子どもについて、NHKが放送したテレビ番組を見て、自分自身もLDであることに気づいたそうです。

小学校では問題児とされ、尋常小学校(現在の公立小学校)を1年生の時に退学させられ、トモエ学園に転校しています。

転校した、トモエ学園が個性を尊重する学校であったため、黒柳徹子さんの行動も受け入れられ、のびのびと成長することができました。

黒柳徹子さんは、著書の中で、発達障害について言及しているのですが、診断がくだっているわけではありません。

黒柳徹子さんのなにがすごいのか?名言も紹介!


黒柳徹子さんの芸能界入りはNHK専属女優の応募です。

オーディションを受けるきっかけは、「自分の子供が生まれたら、絵本を読んであげるお母さんになろうと思って、絵本の読み方を教えてくれるところを探していて。NHKに行ったら教えてくれるだろうと思って受けた。」

となんとも素敵なきっかけです。

女優になるオーディションにも関わらず、なにもわからず、徹子さんは隣の人に「これ、教えていただけませんか?」と質問してしまったこともあったそうです。

最終面接では「お父さんに女優になるのを相談したら応援してくれるんじゃない?」と問われると、「いいえ、父は“女優なんて、そんなみっともないことはするな”と言いますよ、きっと」と発言をしてしまい、場を凍り付かせてしまったと言います。

おもしろいですね。

そんな中、採用担当の方の中には多数、徹子さんの個性を熱心に推す声があり、黒柳は6000人の中から13人という採用枠に選ばれ、芸能界入りを果たしました。

今では黒柳徹子さんと言えば、日本だけでなく世界で活躍されています。

1984年からユニセフ親善大使として活躍しており、子どもたちのために世界中を飛び回っています。世界の不公平をなくし、すべての子どもたちが安心して生きていけるように、今後も積極的に活動を続けていきたいと語っています。

『徹子の部屋』は「同一司会者によるトーク番組の最多放送1万2100回」でギネス世界記録に認定されています。

落ち着きがなくても、発達障害だと気づいても、そんなこと関係なく徹子さんは着々と自分の人生を作り上げておられますね。

最後に徹子さんの名言や、楽しく生きていくための徹子式考え方をご紹介します!

黒柳徹子さんの名言

自分と人を比べても何もいいことはない。

自分を褒めて褒めて大事にする

不思議な導きにピンと来たら、素直にやってみること

子供の幸せを考える時、私は与えることよりも、奪わないことだと思う。

黒柳徹子さんの母親「黒柳 朝さん」を紹介

黒柳徹子さんが小学校を退学になった時、お母さんの朝さんは、徹子さんを変えようとしないで「徹子さんを受け入れてくれる学校を探そう」という視点を持ったそうです。

本人の気持ちを第一に考え、徹子さんが「自分の存在を否定された」などと思うことなく過ごしていけるように、退学の理由は伝えず、学校を探しました。

現実、同じ状況になると、子どもさんに「あなたに落ち着きがないから学校を辞めさせられて、新しい学校を探さないといけない!と子供さんを叱るお母さんは多いと思います。

それが悪いと言うわけではありませんが、今でこそ、ADHAなどと言われ、個性を伸ばすと言われていますが、当時は言うことを聞かない子!となりそうですが、朝さんの徹子さんを受け入れる姿勢はすごいですね。

後に徹子さんが20歳を過ぎてから、退学になった理由を聞いたそうです。

黒柳朝さんは71歳でエッセイを書き、95歳の時、心不全で亡くなるまでの間、100冊近くの本を出版した。と徹子さんは話されています。

まとめ

・黒柳徹子さんは自身が発達障害と公表しているが診断がくだっているわけではない。

・黒柳徹子さんの行動や発言からADHD・ LDがある。

・黒柳徹子さんは発達障害があっても日本を代表する素晴らしい女性である。

・母親の黒柳朝さんは徹子さんの落ち着きのなさを受け入れ、否定せず徹子さんと向き合った。

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